長い船旅が続く・・・

 毎日が退屈だ。リバティー号は北へ北へと急ぐ。三年半前に乗ってきた我輸送船より吃水が深いのでゆれが少ないようである。

 足首の腫れは引いたが、まだ自由に歩くほど回復しておらず、他の船室を訪れる元気はなかった。同室の戦友は皆思い思いの希望に 胸を膨らませて賑やかに語り合う。

 私はザラ紙で出来ている雑記帳を取り出して周辺の戦友に寄せ書きを頼んだ。絵の上手な者、文章のうまい者、文字の達者な者、 戦場にいるとき気の付かなかった特技をそれぞれ発揮してくれた。全く大したもので、思い思いに思い出の記録を残してくれた。

 軍隊はあらゆる職業の集まりとは前述したが、隠された趣味、芸能もまた多士済々で船中の退屈を慰めてくれるのに十分であった。

 寄せ書きには、激しかったマーカス岬の戦闘、苦しかった転進、現地自活の想い出、戦策道路の構築、上官のニックネーム、私に対するねぎらいの言葉など ほほえましい表現で書かれている。みな懐かしい人ばかりだ。

 私も記憶の新しいうちに書いておこう。思い出の地名、生命を繋いでくれた数々の食べ物、戦友の話、貫名劇場のお題目、想い出されるものを出来るだけメモした。

 トイレに立って甲板に出た。見渡す限りの海原で島一つ見えない。一体どの辺を走っているのだろうか? 対空見張りも対潜監視もいらない。青い海、ぬけるような空は来る時と変わりないし、三百六十度が全て丸みのある水平線であるのも変わりがない。 地球の上を確かに走っていた。北へ向かっているのだろうが、比較するものがないので全く見当が付かない。

 五月十二日、右手に島影が見えたという声が入った。私も足を引きずりながら急いで甲板へ出てみた。

それは硫黄島であった。

 来る時も近くを通過した事を思い出したが、たしか、青々とした島であったはずである。ところが今見る硫黄島はどうだろう・・・

 全島丸裸、擂鉢山をはじめ島の隅々まで赤土をあらわにして全く変貌している。硫黄島玉砕の情報は入っていたが、さぞかし激しい攻防であったのだろう。

黙祷をささげる。

 長い船旅も日が立つにつれて楽しくなっていく。一日一日と日本に近づくからだ。三年半前、激戦地ラバウルの戦陣に急迫、着任して以来のことが 断片的に想い出される。同じように周辺に寝転ぶ戦友たちからこぼれる思い出話の断片がお互いにくっつき合って一つの物語になる。 孤独になるとまた途切れ途切れになり、聞き直しては「ああ、そうだったね」と笑う。

 若いとはいっても過去は容赦なく遠ざかり断片のみがバラバラに残ってる。これもやがては次第に消え去って行くのであろう。悪夢よ去れ。明日の日本が待っている。

 五月十四日ごろから、島が見えはじめてきた。次第にその数が増えだしたが、一体どの辺なのか分からない。いよいよ日本だ。

 十五日になった。名古屋に入るという。島々の間を行き交う漁船から手を振っている漁夫の姿が見えてきた。「帰ってきたぞ~!」と叫んだ。 「ご苦労様でした!」と応えてくれているようだ。小船の数が増えてくる。皆手を振ってくれている。無性に涙がこぼれ落ちた。

 名古屋港の近くにこれほど小島があるのかと思われるほど島、島、島である。胸がわくわくしてきて気持ちばかりが先に進む。

 十六日、霧の中に日本本土の大きな塊が浮かびだした!いよいよ名古屋港だ!埠頭が見えてきたとき「ヴォー!」と、リバティー号は到着の知らせをしてくれた。船内が急にざわめき立ち身の回りの整理をはじめる。リバティー号はピタリと桟橋に喰らい付いたように泊まっていた。しかし船内に伝染病が出たという情報が入り検疫の為一夜足止めをさせられ一同はズッコケたが、もうここまでくれば明日の事である。早く外が見たい。

 五月十七日の朝が来た。なんとさわやかな朝だろう。急いで甲板に出てみると埠頭にはすでに何人かの出迎えの人の姿が見える。 若い女性の姿が見えた。なんと美人なのだろう!向こうでもじっとこちらを見ている。思わず手を振った。胸がドキドキした。昼近く下船の命令が出て、一同胸をときめかせて一人一人タラップを降りて行った。私もまだ痛みの残る足を一歩一歩踏みしめてタラップを降り 日本の土をしっかりと踏みしめた!下を見ると船と桟橋の隙間から名古屋の海水が復員を祝福してくれているかのように輝いている。

 埠頭には大勢の出迎えの人々が来ており、キョロキョロと人捜しに懸命であった。 ハッと思わず固唾を飲む!ツルブから河兵団長(第四十一師団長)としてニューギニアのウエワク方面に赴任して行かれた懐かしい眞野五郎中将のお姿が 目に入った!一足先に復員され、わざわざ出迎に来ておられたのだ。激戦を伝え聞いていたニューギニアの戦線で玉砕でもされていたとばかり思っていたのに。お元気だった!

 人を掻き分け、足の痛いのも忘れて閣下の所に走りより固く手を握り締めた!
「閣下!ただいま帰りました。お出迎え有難う御座います。」というのが精一杯だった。
「永い間のご奉公、誠にご苦労様でした」と、言葉少なにねぎらってくださった。
「・・・・・・・」暑い涙が溢れ、頬を伝わって流れ落ちた。



「完」