ツルブ-ブッシング-マーカス岬の戦闘-カ号作戦を通じて何がといわれて食料不足=飢餓ほど我々を悩ませ、戦力低下に影響を与えたものはなかろう。 これがひいてはマラリア等の病気を惹起し、これがまた戦力消耗につながるという悪循環を招いていった。

 これまでも椰子の芯、パパイヤの芯と根、ビンロウ樹の芯、カナカほうれん草、カナカセリ、トウガラシなど現地の植物が主食として、あるいはおかずとして 我々の生命の糧となった。また時にはトカゲ、ワニ、ヘビ、オウム、ナマケモノなども見つけ次第殺して動物性タンパク質を補ったりした。

 ラバウル防衛のための戦技訓練が激しくなるや到底こういう手段だけで事足りるはずはなく、方面軍から現地自活による食糧確保命令が下達された!

 各部隊はそれぞれ専門的な知識を持っている将兵を中心として計画を樹て、敵機の来襲を考慮しながらジャングルの開墾に着手しはじめた。次第に 拓かれていく状況を空から見れば、日本軍の配置や兵力等もありありと判断出来たのではないかと思われる。

 わが聯隊には幸い西瓜博士のK中隊長がおられ、熱心に農耕の計画指導にあたられたが、私も出身学校の関係から農耕隊長を命ぜられ、訓練の無い日には 現地で作られた鍬(クワ)やその他の農具を担いで農園作りに精を出した。

 みるみるうちにジャングルは開墾され切り倒した木は畑と畑の境界に積み上げた。開墾中も常に敵機の監視は怠れない。

 主食は主として陸稲(現地種か新貨二十六号など)とさつまいも(沖縄百号、菊水号という紫いもなど)であった。何しろ四季のない常夏のことであるため 成長も早くいずれも三~四ヶ月ぐらいで食べられた。一方では種まき、一方では収穫という光景も熱帯地方ならではのことであるし、サツマイモはほっておけば どんどん大きくなりお化けさつまになったものである。味は勿論うまくはないが、今は味など言っておられる状態では無かった。

 副主食として、きゅうり、なす、黒大豆、菜豆(甲州豆)トマト、カウピー、長豆、熱帯春菊、辛子菜、大根、オクラ、生姜、南瓜、ねぎなどが 輪作を考慮して栽培された。また落花生、西瓜、タバコ、とうもろこしなどが作られいつしかラバウル一帯は一大農園と化し食糧決戦態勢が整備されていった。 各部隊は毎日の開墾面積、作物別作付面積を上級部隊に報告したが、その面積は6.400ヘクタールに達したという。

 とうもろこし畑は、よくオウムに荒らされたものだが、目にも鮮やかなオウムも悪魔に見え撃ち殺して食べた事もある。

 開墾中にヘビでもあらわれようものなら大変だ!文字通り「草の根を分けて探しても」追いまわし、結局は逮捕してこれまた付焼きにして口の中に入った。

 たばこの葉は生育途中での摘葉は禁じられていたが、人知れずもぎ取られていた事もあり、餓鬼道に陥った人間の本性が各所で見られたものである。

 また、各隊ごとに鶏を飼育しはじめた。竹などで高く囲って小屋を作るのだが、野生化した鶏は次第に木の枝などの高い所へ止まる習慣を備えてしまい捕まえるのに苦労するようになった。 私の宿舎の枕元に巣を作った鶏は、クックッ・・・・と鳴いた後一聲甲高い聲を発して卵を産んだ。はじめは追っ払ったが、又帰ってくるのでいとしさもつのり、鶏権を尊重して産ませることにした。

 日本で見られるような鉢の巣に似た直径三十センチ以上もある蟻の巣(大きなカルメ焼きといったらよいか)をトントンと崩すと割れて出てくる無数の白い蟻の子を鶏達は喜んでついばんだ。 真白い蟻の子群団が瞬く間に食べられてしまう。凄まじいの一言に尽きる。

 ある夜、屋根をしてある鶏小屋が急に騒がしくなり、鶏のけたたましい聲も聞こえてきた!!懐中電灯を持った数人が様子を見に行くと止まり木から一羽の鶏がぶら下がり、 他の鶏はヘリのほうへ寄っていた・・・更によくよく見ると、怪しく青白く光る物が見える・・・なんと腹を減らした錦ヘビが忍びより一羽の鶏を締め付けているところだった! 一同驚いたが、そこはこちらも腹ペコ部隊である。ソレッ!!とばかり狙いを定め頭を撃ち抜き死刑に処した。引きずり出すと太さは二の腕、長さは二メートル位もあり一同固唾を飲んだ! 早速翌日は陸うなぎと化しタンパク源となったが、貴重な小銃弾とオウムや錦ヘビとの比較論がおきたのも当然である。