昭和十八年十二月二十六日未明
ナタモ付近は突如連合軍の熾烈な艦砲射撃を受けたことから、松田支隊長は支隊予備隊である歩兵第五十三聯隊第二大隊に出動準備を命じ、
状況の判明を待ったが、間もなく右地区隊長(船舶工兵第一聯隊長:織田勝大佐-30期)から、
「敵はナタモ付近に上陸」次いで左地区隊長(歩兵第五十三聯隊長:角谷弘毅大佐-31期)からも「タワレ付近に敵上陸」の入電が入った!
松田支隊長は地形一般の関係から連合軍の主力はナタモ方面と判断し、支隊主力をもってまずこの方面の敵を撃滅するに決し、
各部隊に各個攻撃命令を下達するとともに師団司令部、方面軍司令部に状況を報告。航空協力を要請した。
この時の支隊命令の要旨は以下の通り
一、敵は主力を以ってナタモ付近に、一部を以ってタワレ付近に来攻せり
二、支隊は速やかに全力をツルブ付近に集中し、まず主力をもってナタモ付近の敵を撃破せんとす
三、予備隊は直ちにナタモ方面に急進し敵を索めて攻撃すべし
四、工兵隊は予備隊の攻撃に協力すべし
五、右地区隊は爾今野戦高射砲第三十九大隊及び第三十一野戦道路隊を伴せ指揮し極力当面の敵を攻撃すべし
六、野戦高射砲第三十九大隊及び第三十一野戦道路隊は直ちに右地区隊長の指揮下に入るべし
七、左地区隊は主力を以ってナタモ方面の敵を攻撃すべし
八、ブッシング守備隊は直ちに現在地を撤しエガロップに急進すべし、努めて多くの弾薬を携行すべし
九、ウインボイ島守備隊は速やかに揚搭場付近に兵力を集結し、且全軍需品を携行しツルブ転進を準備すべし。敵にその行動を厳に秘匿するを要す
十、船舶工兵第一聯隊はウインボイ島守備隊の輸送を準備すべし
十一、船舶工兵第八聯隊は弾薬糧秣を努めてナタモ揚搭場近くに輸送すべし
第十七師団司令部には、連合軍上陸の松田支隊からの第一報が二十六日朝のうちに到着した。 師団長はかねてからの方針に基づき、松田支隊独力で当面する連合軍を撃破させることとして以下の命令を下した。
一、師団長の方針に変化なし
二、松田支隊長は支隊主力をツルブ方面に集中し当面の敵を撃滅すべし。ウインボイ島の兵力は速やかにツルブ付近の戦場に転用すべし
ナタモ正面を守備する右地区隊は、連日の爆撃と、当日朝の熾烈な艦砲射撃を受けた事は既述の通りだ。 この攻撃による被害は舟艇基地粉砕、海岸陣地の要部の殆どが破壊されてしまった。
舟艇約五十隻、高射砲陣地の大部、その他人員にも多数の被害を受けた。これに加えて、地形上ナタモ方面には連合軍の上陸を予想していなかったので、 奇襲を受けた形となり、
連合軍に容易に地歩の獲得を許してしまった。米側の資料によれば、「海岸達着は十二月二十六日午前七時四十五分。日本軍の応射は無かった」と記されている。
ナタモ反撃の主体であった歩兵第五十三聯隊第二大隊の戦闘の実相について、
同大隊長:高部眞一少佐(46期)の戦後の回想を掲記する。 「敵の艦砲射撃が開始されると、程なく松田支隊から出動命令が来た。そこで部隊を集結して出発を準備したが、その後無線が入電しても 解読できず、状況不明のまま暫く待機していた。九時か十時頃になって前線から走ってきたどこかの部隊の下士官が、ナタモへの敵上陸を報じた。
従来から水際撃滅の方針に徹し、敵が上陸すれば、これを攻撃する事に決まっていたから、躊躇する事無くナタモに向かって前進を開始した。
当時の大隊の戦力は総兵力約八百名であったが、病人その他を差し引いて、攻撃に参加したのは六百名位であった。編成は次の通りである。
・歩兵中隊 三(第五、第七、第八中隊)
・機関銃中隊 (機関銃四門)
・大隊砲小隊 (聯隊砲二門)
・配属速射砲小隊 (速射砲二門)
・同迫撃砲小隊 (迫撃砲二門)
以上のうち聯隊砲その他の火砲は全部携行すると弾薬が持てないので、やむを得ず各一門とし、残る全員で弾薬を担送した。その結果弾薬は各砲五発位であった。
前進していくと病院の患者が後退してくるのに会い銃声も聞こえてきた。暫くして船舶工兵第一聯隊の本部に到着し副官から状況を聞いた。 場所は三角山南西側であった。敵が上陸したのは、配備の弱点で陣地設備の無い所だった。
その付近に歩兵一個分隊と高射砲聯隊が居たということであるが、状況を見ていた海軍の者に聞くと、煙幕の中から敵の舟艇が現れ応戦の暇もないうちに上陸してしまったとのことであった。
敵情の細部は解らず、教えられたのは、前面一体に敵が居るということだけであった。 其処此処に銃声もしていた。一時間位かかって部隊を集結し攻撃命令を下達した。
・右第一線 第五中隊(MG一個小隊)
・左第一線 第七中隊(MG主力配備)
・予備 第八中隊 両第一線の中央後を前進。
聯隊砲、速射砲、迫撃砲、大隊本部と同行する。
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