「戸伏大隊の防禦編成」


 第一線を担任した戸伏少佐は、敵の主陣地とおもわれる線から僅かに500〜600mの位置に配備し防禦陣地を構築。まさに最前線、距離的にいえば小銃の射程範囲、肉眼でも見て取れる距離だ!
マーカス岬は東は断崖、西はマングローブと深い湿地であり、両軍とも包囲迂回は出来ない。
陣地地域はジャングルと椰子林に覆われていて、これといった制高点は無い。
地質は極めて硬く壕を掘るのも一苦労であった。戸伏少佐の表現を借りると・・・

ツルハシの先が丸くなる程だそうだ。

 最初は伏射、次いで膝射、最後は立射と逐次に掘り下げ壕底に横穴を作った。
掩蔽資材には事欠くことはなく硬い椰子を利用し 出来る限り、
予備陣地や補足陣地も作ったそうだが大したものは出来なかったといわれている。
障害物については最初は鹿砦で間に合わせてその後捕獲した有刺鉄線や対人地雷を利用した。

布陣

右第一線 酒井隊【第二中隊(一小隊欠)機関銃一小隊の{2Co-(2個Pt・MG×2)}】は、
ジャングルの中でやや射界の良いと思われる所でしかも若干反斜面的なところに配兵した。

左第一線の加地隊【機関銃中隊(一小隊欠)第三中隊の一小隊。予備第二中隊の一小隊、大隊砲小隊{MGCo(-1個Pt)÷1個Pt/3Co}】は、道路を挟んで陣内に深い窪地に配置した。 各中隊とも機関銃は主線を道路に沿う地区に指向しほとんど正面射に近い状態である。

米軍公刊戦史によれば、この陣地は極めて巧みに出来ており 物量に勝る米軍をかなり悩ませたと記されている。

両中隊長の回想
「別にこれといって知恵を絞った記憶はない。陣地編成も防禦戦闘も原則に従ってと言えば大げさだが」
「まあ、普通にやったまでで平凡なものだよ」

「岬の中央に細い道路があり、わが方から見て道路左側の海には断崖絶壁があり右側は海まで湿地帯です。日米両軍とも湿地を避けて布陣しました。メッセリア飛行場予定地はこの地図ではずっと右方向です。右第一線は酒井隊、左第一線は道路を挟んで加地隊。佐々隊は予備隊としてずっと後方の海岸より。戸伏大隊本部は道路右側で酒井隊の後方に布陣しました。酒井隊から大隊本部までは道路を境に右下がりの緩やかな傾斜でして 一面椰子と雑草のジャングルに覆われておりました。この構図でもわかるように、敵第一線戦車群との距離は1〜1,5キロですから 敵陣の動きや戦車の音などもある程度聞こえました。特に夜は遅くまでカタカタコトコトとよくやっていましたよ。両軍とも長期間のにらめっこです。 昭和十九年一月十六日 敵も痺れを切らしたのか、いよいよ朝から空と地上から一斉に砲爆撃を開始、既報の通り彼我の激烈な先頭が開始されたのです。 小さな岬ではありましたが、ニューブリテン島への敵上陸はここが初めてでしたから上層部も重要視していたわけですね。 それだけに、我々もその意を汲んで緊張しました。」(塚本氏談)


 最前線の将兵の緊張感が伝わってくる。 戦後、塚本氏はこのマーカス岬に上陸した米海兵隊のLVTに搭載された物資の写真を見た際、驚くほど積み込まれた物資の多さに驚愕したという。背筋がゾッとしたそうだ。 そしてそれは私が同じ写真を見た時も同様であった。 LVT甲板には砲弾、糧食、ありとあらゆるものがぎっしりと積まれていたのである。
戦力の差が歴然としていたという事は一目瞭然だが、 上記に「まあ、普通にやったまでで、平凡なものだよ」と記されている通り、 防禦編成、陣地構築などはあくまで正攻法であった事が伺える。 敵が敗走し放棄した小火器や地雷などを巧みに利用し、陣地を構築して敵の攻撃を防禦。 約10台の戦車の侵入を許したが、結果侵入した敵は自ら包囲される形となり、左第一線加地中隊が敷設した対人地雷に阻まれ進撃速度が遅くなり、 塚本副官、野々村軍曹らによる決死の攻撃により2〜3台の戦車を撃破された。 この戦闘で米軍部隊は進退不能となり、午後三時頃、各所でサイレンを鳴らし撤退。 狂ったような激しい弾幕でその撤退を援護していた。

 戸伏大隊の防禦編成は巧妙であった。
米軍の主抵抗線から600〜700ヤードの高地上に擲弾筒、自動火器の各個掩体を
分散配置し、発見されれば簡単に予備陣地に移動するように設備してあった。
しかも良く地形を利用し、巧妙に遮藪した為、その発見はすこぶる困難で、
米兵は10〜20ヤードの距離から射ってくる機関銃の位置が発見できない有様であった
米軍はこの陣地の偵察に努める傍ら、連日日本軍地域に激しい砲撃を加えた。
一月初頭には日本軍をその陣地から駆逐するため、三度に渡って出撃したが
我方の攻撃は失敗に終わった。(米海兵隊公刊戦史から抜粋。)

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