「戸伏大隊、小森支隊と合流」


 攻防の転換が訪れた。

 十二月二十八日、新谷少尉の斥候により小森大隊に接触したことがわかった。やっとの思いで小森大隊に合流した戸伏大隊は、直ちに小森大隊長の指揮下に入った。この小森大隊は支隊を編成し十七師団(17D)の長直轄となった。 戸伏大隊長は早速小森支隊長に意見具申して、二十八、二十九日の両日にわたりそれぞれ一個中隊をもって攻撃したが 陣前で熾烈な火力を受け不成功に終わった。この様子では攻撃は過早に戦力を消耗すると判断した戸伏大隊長は小森支隊長に意見具申して防禦により敵を岬内に封じ込める事となった。そして第一線の防禦は進出した戸伏大隊が担任し、後方警戒、補給等を小森大隊が引き受けた。

 戸伏大隊長の回想 『小森大隊と接触したということが分かった時は本当に嬉しかった。私は若い頃都城23i(二十三聯隊)に勤務したことがあるが、 その当時小森さんは鹿児島の四十五聯隊に勤務しておられ兄弟聯隊であったので一応旧知の間柄であった。 当初の命令では逆上陸して所在の敵を撃破ということであったし、正直なところ名誉挽回という気もあって早速攻撃したが不成功に終わった。敵情が十分掴めていなかった。それにしても敵は凄い火力である。

「上級司令部では攻撃、攻撃と言っているが、この調子では過早に戦力を消耗して無為に終わってしまうのではないか? それよりは粘り強く戦って敵を封じ込めておくべきだ。 一人十殺、これこそ真の玉砕である」と考え防禦に転じた。(現場の状況を理解せず後方から空論を天下の命令と発せられる事は逆に戦力の低下を招くものだと思う。)※4

 そして第一線は全て戸伏大隊とするよう意見具申したら小森支隊長は快くこれを採用してくれた。 小森支隊長は小柄で大人しそうな方であったが中々戦上手で状況判断が良く、また泣き言を言わない人であった。私は終始、本当に心からこの人の指揮に服することが出来た。 このような時、(他の部隊と合同して戦闘する時)は、名誉心も手伝いお互いに少しは不信感もあるので、 第一線の全てを他部隊に委せ、自ら後方の警戒や補給を加担するということは中々出来にくいものである。 小森支隊長は太っ腹で私心のない人であった。第一線は全部私に委てもらい 、時に小森大隊隷下の部隊が 援助する時も私の指揮下に入れてもらったので非常にやりやすかった』 十七師団、六十五旅団、五十一師団と所属の異なる部隊が建制聯隊以上に団結し終始健闘したのは、小森大隊長の人格・統率力に負うところ大なるものがあった。 と評価されている。 作戦の成功は 闇雲な攻撃ではなく、粘り強く頑張って敵を封じ込める事。これこそ真の玉砕と書かれている所に注目して頂きたい。同じ戦場、お互いに信頼関係を築き善戦する事の基本ではないだろうか。

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