機を見てと云う事の意味


 昭和十七年一月二十二日午後十一時四十分 東京から五千キロ離れた南海の要衝ラバウルに向かって、日本軍の上陸用舟艇が一斉に発進した。 月齢六、薄曇りの海上に豪軍の打ち上げる照明弾が、舟艇の立てる白波を、くっきりと浮かび上がらせていた。 この時、死闘三年、二十二万の陸海将兵の生命をつぎ込んだ南太平洋方面陸上作戦の幕が切って落とされたのである。 陸軍部隊は第五十五師団(師管区 四国)の歩兵第百四十四聯隊を基幹とする南海支隊、 海軍部は第四艦隊主力であった。 当時我が南方作戦は順調に進展していた。

 マレー方面は一月上旬、既にシンガポールにいたる行程の大半を突破して、 要地クアラルンプールの前面に殺到していたしフィリピン方面は一月二日、首都マニラを完全に占領していた。
太平洋方面においても、十二月十日グアム島、二十三日ウェーキ島をそれぞれ占領。
ラバウル攻略はこの時期に、ボルネオ島パリクパパン、セレベス島ケンダリー、モルッカ諸島アンボイナ等の 南海の要地に対する進攻と相前後して行われたのである。

 攻略は全般的戦略情勢の優越と、豪軍側の日本軍主上陸地点に対する判断の食い違い等の影響で、 極めて順調に終了した。また海軍はラバウル攻略と同時に、ニューアイルランド北西端のガビエンを占領し、 次いでニューブリテン島南岸スルミ(ガスマタ)を攻略した。

 このころ、豪軍は豪州本土防衛のための前方監視線として、ニューヘブライズ島のビラ、フロリダ島のツラギ、 ブーゲンビル島のブカ水道、ニューアイルランド中部のナマタナイ及び マヌス島のロレンガウを考えていたので、 日本軍のラバウル及びその周辺要地の攻略は、この監視線を突破したことになるのである。

 海軍はトラック環礁が、その方面における聯合艦隊の重要前進拠点になってきたことから 南方約千五百浬にある豪州委任統治地ビスマルク諸島ラバウルからの基地航空機の攻撃を受ける心配が出てきた。長距離爆撃機B-17の出現によりこれを防止し、安全な安全な艦隊根拠地とするためには、 是非ともラバウルを攻略する必要があると考えられるようになった。

 そして航空を重視し、その作戦は航空基地攻防戦になるであろうと判断していた聯合艦隊は、 作戦実行部隊として今次作戦計画の立案にあたり、マリアナ諸島、カロリン諸島、ラバウルの線を 本陣地線と見ていたので、ラバウルを本陣地最右翼の支点として特に重視していた。
それはまた米英側がラバウルを航空基地、又は艦隊前進拠点として整備し、 わが方のトラック基地を攻撃したり、 マリアナ、トラック線四方海域に対して脅威を与えることを未然に封殺し、 ソロモン諸島やニューギニア北岸沿いの進攻を不可能なら閉める狙いでもあった。

 昭和十六年八月頃の南方作戦準備の段階では、既述のとおり大本営海軍部は、米国海軍の来攻に備える見地から、 ビスマルク諸島の占領を必要と認め、当初攻略のため一部陸軍兵力の指向を強く要望したが、 陸軍統師部首脳はこの方面に海軍作戦上の見地に基づく陸上兵力の必要性は認めるが、 それは陸戦隊を当てればよいのであって、陸兵を派遣することは陸軍兵力運用の限界を超えるものである。 という見解であった。
 特に参謀次長塚田攻中将は 「絶海の孤島に少数の陸兵を派遣することは、海の中に塩を撒くようなものである」と厳しく反対 。 ところが、約三ヶ月後の十一月三日に行われた対英米蘭戦争に伴う 帝国陸軍の作戦計画の上奏に際しては、 占領すべき範域に「ビスマルク諸島が入り、その作戦要領として 「南海支隊ハ機ヲ見テ陸海協同シテ「ラバウル」ヲ占領シ航空基地ヲ獲得ス」と明示されている

「開戦時」ではなく「機ヲ見テ」と言うことであるが、 陸軍派遣に関するこの変化は何故起こったのだろうか。
 マレー作戦との関連 元来開戦に伴う作戦計画策定の段階では、大陸方面は陸軍、 太平洋方面では海軍が作戦を主宰し、 南西方面は陸海軍協同という不文律があった。
十六年九月末頃の状況で、マレー進攻作戦を担当する陸軍の見積もりでは、 シンガポール方面の連合軍の空海軍の勢力が強いため、マレー半島の作戦速度が著しく遅れ、 ボルネオ東方からジャワ海を経てスマトラに出る部隊より先に、広東にいる第三十八師団を 直路スマトラに南下させることは出来ないという結論であった。
 そこで九月二十八日に行われた大本営幕僚と第十六軍幕僚要員との合同研究では、 なるべく早く部隊を油田地帯に到達させる為に、南海支隊をグアム攻略後、 ジャワからスマトラのパレンバン(油田)に突入させる案で検討したような状況で会あった。
一方海軍側では、その担当方面で、開戦初頭ミリ(ボルネオ)の油田占領を企図し、 戦況の進展に応じてラバウル、アンボン、クーパン(チモール)を早期に攻略することを熱望していたが、 指向する手持ち兵力がなかった。 十六年十月になって、両者が話し合った結果、相互に支援して、 陸軍側は海軍航空隊の協力を得てマレー作戦の速度を速める。
海軍側は陸軍の南海支隊と協同してラバウルを攻略する。
ただしラバウル攻略後は第十六軍に転属するということで調整がついた。

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