DIARY OF WAR


 Diary No.15「地獄を見た」

 ラバウルに集結せよとの「カ号作戦」発動に基づく転進命令からの経緯については
No.15の最後で触れた。 その後の行動とかそれに伴う苦労話などは拙著「戦陣の断章」で発表したが、熱帯地方のジャングル内を、食糧もなく、しかも敵の目を避けての行動には まさに筆舌には尽くせない苦労があり、著書に発表することを憚るものも多い。

 西部ニューブリテン島を間もなく横断出来るところまで北進して、そろそろ日も暮れようとした。
一同足をひきずりながら宿営予定地に着くや猛烈な蚊に攻め立てられた。
マラリア罹病の危険はもとより到底宿営できる環境にない。
止むを得ずそこをあきらめ更に北進することとした。
ようやく海岸のコメットに着いた頃には真っ暗になった。
なんとか宿営し、翌朝「出発準備!!」の声がかかるや「兵が数人やられています」の声。
案の定前日蚊に刺されたためか5名が高熱にうなされている。
こんなにすぐ発病するものかと改めてマラリアの恐しさを知った。
体力が衰えているため罹病が早いのかもしれない。
可哀想だが止むを得ず置き去りにせざるをえなかった。そのあと彼らはどうなったろうか?

 タラセア半島に差し掛かった頃、敵機に発見され、大急ぎでジャングルに入りこんだ。
一帯は湿地帯である。上空からは遮蔽されているが、敵機はめくら撃ちをしてくる。
その時「あっ!」という声。見ると2人の兵が沼にはまり込み「ずぶずぶ」とめり込んでいく。

「助けてくれー!」と叫ぶが、誰もどうする事も出来ない。手を貸せば一緒にめり込んでしまう。
皆の見ている前でとうとう見えなくなってしまった。

「南無阿弥陀仏!」と一同手を合わせた。

 雨季のため増水した河の渡河が、筆舌に尽くしがたい苦労をした話は拙著にも縷縷書いた。
ある河の渡りきった河岸に幾人もの水死体に出くわした。
どの死体も丸々と膨れ上がり、針で刺せばプツンとなりそうである。
どこの部隊の兵なのか・・・力尽きて渡河が終わった途端に息切れたのであろう。
一時は、数人が互いに疲れきった顔を見合わせていただろうと思う。

 私たちの靴底もいいかげんパクパクになってしまっている。
樹の蔓でしばりながら重い足をひきずって歩いた。 何時ラバウルに着くのか検討がつかない。おおざっぱな地図をたよりに毎日毎日歩く。
前に歩いていた部隊の兵の死体が横たわっていた。靴を履いている。
申し訳ないと思いながら脱ごうと思い引張るとドロッと腐っていた足が靴とともに脱げた。

「申し訳ない!申し訳ない!!」

 ようやく海岸地帯から山に入った。誰も喉が渇いているが水筒はかっらぽである。
幸いジャングルには上から蔦が何本も垂れ下がっている。
刀で「すぱっ」と切るとパタポタと液が落ちてくる。
なんとか喉を潤せた。こんな日が3日も続いた。

 また友軍の死体らしき者に出くわした。殆ど動かない。また靴をと思い、靴に手をかける。

「まだ生きているんだ。おれが死んでからにしろ!!」と、

弱々しい声でどなられた。申し訳ないとまた謝った。

兵たちも皆それぞれ靴には苦労しているようだ。

将校とて生きるためには恥ずかしい思いをなんぼしたものか・・・

「生」とは?とても話せない沢山の過去がある。

数万人の犠牲者に想いを馳せる時、今ある自分を改めて思い直す今日この頃である。
 

Diary No.16「将校と当番兵」
 

 

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